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日本で最も癒される港町とも称される鞆の浦は、古くは万葉集の大伴旅人の歌にも詠まれ、中世・近世には瀬戸内海の中心の潮待ち港・海運の要衝として位置付けられていました。瀬戸内海は日本経済を支える大動脈であり、鞆を含む沿岸の港町は物流・交流、そして朝鮮・中国からの使節団の寄港地としても利用され繁栄してきたのです。 往時からそのまま残る貴重な町並みが評価され、2017年には国の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」に認定され、2018年には、港町としての歴史・文化・暮らしをテーマとしたストーリーが、文化庁により「日本遺産」に認定されました。

築100年以上、明治前期から後期に建てられた鞆を代表する商家(元・櫓屋)は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」の中に位置し、往時には和船の漕具造りを生業としていました。潮待ちの港町に欠かせない生業も時代とともにその役割を終えて静かに幕を下ろした後は、歴史的空間を活かした食事処「潮待ち茶屋 元櫓屋跡」として地域の人々にとっての憩いと交流の場として親しまれ、たくさんの想いや美しい物語を紡いできました。

歴史と文化、物語のつまったこの伝統建築を再生し、100年先も愛されるように。
昔も今もそして未来も変わらず、人と文化が交わる港町・鞆の浦であるように。
今回の潮待ちホテルプロジェクトはそういった想いからスタートしました。
ここでしか味わえない体験と時間。静けさの中で時空を超えて過去とつながる感覚。
古の時代から残る風景や丁寧な暮らし、音や香りに心癒されます。
まるで鞆のまちに溶け込み、居心地の良いもう一つの我が家のように。

地域の本質的な魅力を知る旅の形(オーセンティックジャーニー)の拠点として重視した、伝統の中にある革新性と現代の生活に適応した機能性。海水に浸され今も耐久性を保つ太い梁、時を超え深みを感じる土壁や柱・建具、重厚かつ伝統的な空間を生かしながら、現代の暮らしに合わせてアップデートしました。 一歩外に踏み出し数十メートル進めば、江戸期の港湾施設(常夜灯じょうやとう・雁木がんぎ・船番所ふなばんしょ・焚場たでば・波止はと)が当時のまま残る「鞆港」が目の前に姿を現し、豊かな自然景観と波穏やかな瀬戸内の風景・長閑な風趣を感じ、鞆の静かな日常と丁寧な暮らしの中に溶け込むことができます。

Tomonoura Shiomachi HOTEL –ROYA-鞆の浦 潮待ちホテル
鞆のシンボル常夜灯の優しい光のように、過去とつながり未来を照らしていきたい。
この土地に残る歴史や文化・暮らしや日常に深い敬意と感謝の心を持ち、その魅力を伝えながら、
潮待ちホテルプロジェクトはまだまだ続いていきます。
明治期の伝統建築
元・櫓屋-ROYA-
鞆の浦 潮待ちホテルの舞台は、明治前期の建築。時代の背景をそのままに。
間口三間半の主屋とその背後に中庭を介して建つ離れとからなる。主屋は二階建、切妻造平入、本瓦葺の標準的規模の町家である。主屋の一階は前半分を広い土間とし、その後方は右側一間半を通り土間とし、左側には部屋二室を一列に並べる。この建物の二階床組は豪快で、桁行方向に三間半を通す太い床梁で支える。桁行方向だけの床梁で二階を支持する手法は、鞆では間口一間半や二間の小型町家でよく見られるものであり、この縦建物ほどの規模の町家では珍しく、新しい試みと評価される。
また、全体に木太く、部材の仕上げもよい。二階正面の外壁は一階より半間後退した位置に設けられており、江戸期の伝統的手法を残す。二階正面の外壁は真壁造とし、中央二間半分を窓として大きく開口し、その左右半間の壁面にも小窓を開く。建築年代は明治後期と推定される。離れは一階建て、切妻造平入、本瓦葺の座敷で、前後に畳敷の部屋二室を並べたものである。建築年代は主屋より古く、明治前期と推定される。
鞆町伝統的建造物群保存地区調査報告書より抜粋
「潮待ちホテルプロジェクト」
設計・建築・デザイン
設計・空間デザイン、Cafe & Bar運営、坪庭のデザイン・施工など
鞆の浦縁の潮待ちプロジェクトメンバーをご紹介します。